2016年2月27日土曜日

国勢調査から見えた市町村の人口減少の特徴

 平成27年国勢調査の速報値が総務省より発表された。今回の国勢調査では人口減少社会に突入したことが鮮明になった面が重要であるが、東日本大震災後初めての国勢調査であることも押さえておきたい。本記事では市町村の人口減少に的を絞って見てみたい。
人口減少数(平成22年→平成27年)
1位   福島県浪江町(-20,905人(全域避難))
2位   福島県富岡町(-16,001人(全域避難))
3位   北九州市(-15,031人)
4位   長崎市(-14,122人)
5位   石巻市(-13,590人)
6位   南相馬市(-13,145人(一部避難))
7位   函館市(-13,010人)
8位   下関市(-12,330人)
(東京都足立区 -12,318人)
9位   青森市(-11,898人)
10位 横須賀市(-11,639人)
11位 福島県大熊町(-11,515人(全域避難))
12位 呉市(-11,338人)
13位 静岡市(-10,959人)
(大阪市西成区 -10,034人)
14位 小樽市(-10,018人)
(静岡市清水区 -8,692人)
15位 気仙沼市(-8,572人)
16位 今治市(-8,347人)
17位 秋田市(-8,226人)
18位 日立市(-7,980人)
19位 門真市(-7,474人)
20位 長岡市(-7,428人) 
 まずは東日本大震災に関わる市町村を見てみたい。
 福島第一原子力発電所事故で全域避難が実施されている浪江町、富岡町、大熊町と、ランク外であるが双葉町の4町が人口0人となった。なお、葛尾村と飯舘村も避難指示が解除されていないのだが、それぞれ18人、41人の人口が記録されている。平成27年10月時点では帰還が果たされていないが、近い将来に避難指示が解除される見込みの地域であり、一時帰宅が盛んなことで、葛尾村民、飯舘村民としての意識が強い方数人が回答した結果だろう。南相馬市の人口減少数は避難区域に指定されている南相馬市小高区(旧小高町)の人口にほぼ匹敵している。小高区の避難者は市内の非避難区域ではなく、市外に流出する傾向があると読める。当然、放射線の影響を回避するために、非避難区域からでも市外へ転居する人も多くいるだろう。相双地区の中心都市である南相馬市でも1万人単位で人口流出しているとは驚くべき事態である。
 石巻市と気仙沼市も震災の影響を強く受けていると思われる。居住地が被災したのに加え、大都市である仙台に比較的近いことから人口が流出したのだろう。また、基幹産業の水産業のダメージがやはり大きい。河北新報の記事によると、市内沿岸部の旧雄勝町、旧北上町、旧牡鹿町域で人口減少が顕著である一方、高台にある蛇田地区や旧河南町域で人口増加が見られるとのことである。石巻も気仙沼も市中心部が被災し、周辺地域の被災民の受け皿になり得なかったと人口移動から見てとれる。集団移転先が整備された後の国勢調査となろう平成32年の人口はどのようになるのか。
 政令指定都市の北九州市は昭和55年(1980年)から人口減少が止まらない。北九州工業地域として太平洋ベルトの一翼を担った輝かしい姿はもう教科書の中でのおとぎ話のようである。北九州市と同じく鉱工業が盛んであった長崎市も人口減少数が多い。大型工場の省力化により、就業人口の受け皿が減っているのが明らかである。一方、九州第一の都市である福岡市は約7万人増で市町村単位でトップの増加数である。九州全土から福岡市への急激な吸い上げが見てとれる。なお、長崎市と同規模の熊本市、大分市はともに5千人程度の微増を記録している。
 下関市、呉市、今治市はともに造船業が立地する都市である。中国、韓国の台頭により国内造船業界が斜陽化してることが人口減少とも関係していそうである。
 下関市、横須賀市、呉市、小樽市は港湾中心に発展した都市であるが、山がちな地形で可住地面積が小さい。新規宅地開発が難しいこれらの都市では、若年層の人口が流出し、高齢化の進展とともに自然減も重なって、人口減少数が多くなるのである。
 ワースト20にランクインしている北九州市と下関市、青森市と函館市はそれぞれ関門海峡、津軽海峡を挟んで向かい合っているツインシティ(双子都市)である。前者は通勤通学が可能であるほど近接しており交流が盛んであるが、福岡市の強い吸引力に飲み込まれて衰退している。後者は近隣に大都市を持たないが、札幌、仙台、東京の大都市圏に人口流出していると思われる。函館市、青森市ともに隣接市町村が軒並み人口減少しているため、郊外に移動しているわけでもない。なお、函館市は総務省が指定する「過疎地域市町村」のなかで人口規模が一番大きい自治体である。北海道新幹線開業という、またとない一大イベントを起爆剤にして、両市の人口・産業を上向かせられればと思うが、なかなか難しいだろう。
 ランキング内に括弧で入れた東京都足立区と大阪市西成区の人口減少もなかなか興味深い。イメージ先行になるが、住宅地として魅力がない両区では都市部であっても人が寄り付かなくなっていると言えよう。ある意味では、過疎地域より人口問題の面では解決が難しいかもしれない。
人口減少率(平成22年→平成27年)
1位   福島県浪江町、富岡町、大熊町、双葉町(-100%(全域避難))  
5位   福島県飯舘村(-99.3%(全域避難))
6位   福島県葛尾村(-98.8%(全域避難))
7位   福島県楢葉町(-87.3%(平成27年9月に避難指示解除))
8位   宮城県女川町(-37.0%)
9位   宮城県南三陸町(-29.0%)
10位 福島県川内村(-28.3%(平成26年10月に避難指示解除))
11位 宮城県山元町(-26.3%)
12位 奈良県上北山村(-25.3%)
13位 岩手県大槌町(-23.2%)
14位 奈良県黒滝村(-22.0%)
15位 福島県広野町(-20.2%)
16位 青森県風間浦村(-19.73%)
17位 奈良県川上村(-19.66%)
18位 奈良県下市町(-19.3%)
19位 夕張市(-19.0%)
20位 高知県馬路村(-18.9%) 
 減少率でもやはり東日本大震災の影響が濃く出ている。上位の6町村は前述した通りである。川内村は原子力事故により一時全村避難が行われたが、現在では約7割の村民が帰還しているというのは特記すべきであろう。その他、減少数では少ないものの減少率のランキングで浮き上がってきたのが、津波被災地の人口減少である。ランキングでは女川町、南三陸町、山元町、大槌町が該当する。東日本大震災による死者・行方不明者を平成22年国勢調査人口と比べると、女川町では8.68%、南三陸町では4.78%、山元町では4.29%、大槌町では8.37%となっており、いずれも被災地のなかでも極めて高い値になっている(その他で山元町を超えるのは陸前高田市7.76%、山田町4.48%のみ)。約8%もの町民が死亡・行方不明となるだけでも大きなインパクトになるが、合わせて住宅被害や生業の喪失も重なり、大幅な人口減に繋がったのだろう。
(東日本大震災における死者・行方不明者数及びその率(県別および市町村別)参照)
 上位11位まで東北地方で占めているが、それ以下20位までは奈良県が目立つ。上北山村、黒滝村、川上村、下市町はいずれも奈良県南部の紀伊山地に位置する。林業主体の町村であり、林業の斜陽化と大阪大都市圏に近接していることが人口減に大きく作用していると思われる。東日本大震災の被災地並みの減少率とは驚かされる。
 高知県馬路村はゆずの生産で名を広く知られる村である。馬路村のポン酢やゆずドリンクは多くの国民が一度は目にしたことはあろう。中山間地域の振興事例としても名高い馬路村でも、5人に1人が5年の間に村から姿を消すとは、日本の過疎問題が如何に深刻かを思わせる。
 平成27年の国勢調査速報値から市町村の人口減少について思うところをつらつらと書いてきた。やはり、まずは東日本大震災の爪痕が強く印象付けられた。被災地で人が減ったと言葉では聞いていたが、いざ数字を見せられると事の重大さがより鮮明になる。また、重工業や林業を主幹産業としてきた地域では、産業の構造変化に追い付けず、ずるずると人口が流出している様を見ることができた。